2012年5月27日 (日)

夢のお告げ

 おもしろい夢を見た。

 衝撃の台詞! 

>ナイスなウェア着て倉庫へGO!

 これを、真顔で言う友人の夢。今思い出しても笑えてしまう(^^) なんだろう、昭和の香がたまりません。ルー語のようでもあり。

 ナイスなウェアって、なんでしょうね。夢の中の設定では、友人は私を、なにかのフェアに誘っていたようなのですが。ナイスなウェアと聞いて私が思い浮かべたのは、制服でした。

 しかも、夢の中で、時間をおいて2度も同じこと言ったのです。

>さっきもそれ、聞いたから。知ってるよ~。

 と返す私。友人は笑っていましたが。よほど、大事なことらしかったです。何度も繰り返さなくてはいけないほど。

 そんな友人の顔をじっと見ていたら、妙な気分に。これ、彼女であって、彼女でない。別の誰かが、彼女の形を借りて、自分になにかを告げているような。
 彼女の顔の向こうに、違う存在を感じていました。

 そして、レアチーズケーキを食べました。夢の中とはいえ、おいしかった。私の夢はいつもリアルなので、ほぼ現実と変わりません。ちゃんと味もあって、色も鮮やかで。
 ざる豆腐みたいなタイプのケーキ。
 パクパク食べながら、私は作ってくれた人の顔を見ているのです。

>おいしいで~す
>そうでしょう。

 夢の中では、別のお店がケーキのレシピをまねしたと、怒っている人がいました。だから

>絶対こっちの方がおいしい

 と、その人を励ます私。実際、別のお店が作っていたケーキは、緑のマカロンを間にはさんだもので、彩りは綺麗なのですが、いまいち。なぜなら、私はマカロン、あんまり好きじゃないから。

 マカロン一緒に食べるより、この、シンプルなレアチーズケーキの方がおいしいよ~と叫んでいる私がいました。

>ナイスなウェア着て倉庫へGO!

 支離滅裂だけど、強いメッセージ性を感じるセリフでした。

 倉庫ってどこだろう。ナイスなウェアって・・・。言わないよなあ(笑) 思わず妙なリズムで、何度も口ずさんでしまうような、癖になりそうなインパクト。

 もし夢のお告げなら。もう少しわかりやすくしてほしかった。そしたらすぐ、その倉庫に向かうのに。速攻で、ナイスなウェアも買いにいきます(爆)

2012年5月26日 (土)

ミニお知らせ 『もう一度君に、プロポーズ』感想 について

 ちょこっとお知らせなのですが、ドラマ『もう一度君に、プロポーズ』はもう見ないので、感想を書くことはこの先ないです。このドラマについて触れるのは、たぶん今日が最後。

 感想はこれまで放送ごとに、毎回書いていたので、もしかしたらそれを見に来る予定の方がいたら申し訳ないと思い、一応ご連絡です。
 ちなみに私は、昨日の第6回も見てないです。

 理由は、第5回までで、もうお腹いっぱいになってしまったから(;;;´Д`)

 以下、第5回までのドラマの内容(ネタばれ含)に触れていますので、未見の方はご注意ください。


 

 自分が波留だったら、もう無理だなあ~って思いました。記憶戻る戻らない以前に、ああいう、元彼と夫を実家の晩御飯に同席させて、夫にはわからない昔の話でみんな(夫除き)盛り上がって、というその行為自体に、大きく幻滅してしまうというか。

 相手が悲しむことを平気でやれてしまうようになったら、もう終わりだと思うんです。これは、記憶をなくしたから許されるってものではないと思うし。可南子も、行為の非常識さに気が付いてないわけじゃなく、わかってたはずですよ。逆のことやられたら、あの場に最後までいなかったんじゃないですかね。
 つらくて、悲しくて、憤慨して。
 席を立ってしまったような気がする。

 場を壊さないように最後まで留まり、笑顔さえみせた波留の優しさ。
 第三者として見ていて、もう十分だよ・・・と思ってしまいました。

 これ以上一緒にいても、お互い傷付くだけですね。可南子にその気(復縁)がみえてこない。むしろ元彼には自然に惹かれていくのに。

 波留が可南子を大切に思うなら、自分の気持ちじゃなく相手の気持ちを優先するのが、本当の愛なのかもしれません。自由にしてあげることが、最大のプレゼントになる。子供もいないし、それが一番円満で、みんなが幸せになれる方法なんじゃないかと思いました。

 そもそも波留、本当に可南子のこと好きなんですかね?
 結婚に対する義務感、責任感、それから家族というものに対しての憧れで、結婚に執着している面もあるのかなと思いました。

 真面目で、そんなにチャラチャラしてるタイプでもないし。可南子と離婚したら、すぐに次がみつかるわけでもない。そんな中で。

 きっと寂しがりな彼が、温かさの象徴である可南子を、失いたくなくて、という一面もあるのかなあ。妻として愛しているか? それは、絶対とは言い切れないかも。

 だって。しつこいようですが。妻は記憶を失ったからといって夫との共同生活はせず、実家に戻って独身のようにすごし、友達と遊びにいったり元の職場に復帰したり。それなのに、夫と関係を修復する努力はみえてこないというのは、いくら鈍感でも、そういう相手を再び配偶者として愛せるかなあ・・・。

 やれることってあるじゃないですか。一歩ずつでも。
 夫婦だった記憶がなくて、いきなり他人じゃ怖いかもしれないけど、じゃあ短時間のデートとか。2人きりが怖いというなら、実家でみんなでご飯を食べるというのでもいいし。(当然、そこに元彼なんぞ呼んではいけません)
 毎日じゃなくてもいい。でも、少しずつ、そうやって接触する時間を増やしていって、波留のことを知りたい、知って行こう。一から恋愛始めていこうっていう気持ちが、可南子からは感じられないのです。

 そして、そんな可南子を、愛せるかなあ。私、自分が波留の立場だったら、とても無理だな。冷めてしまうと思う。

 記憶がないぶんだけ、本当の可南子、というのが今、波留の目の前に立っているのかもしれません。
 夫婦である、という枠をとりはらったら、そこに残るものがなんなのか。

 もし可南子が、記憶を失って戸惑っている。もう少し時間がほしいっていうなら、ちゃんとそれを波留に伝えるのも必要だと思うんですね。正直に、今私はとても戸惑っていて、あなたをいきなり夫としては見られないけれど、少し時間をくれませんか。それまでは一人にしておいてもらえませんか。
 家に来たりすると、動揺して、いろいろあせってしまうんです。だから一人で考える時間をください。どんな答えが出るかわからないけれど、自分で出した答えは必ず伝えるから、それまでは申し訳ないけど二人きりでは会えない・・・・・そういうことをちゃんと話したなら。波留は無理なことしないと思うんです。たぶんそっとしておいてくれるはず。

 波留が、可南子の様子を気遣いながら(可南子には迷惑がられながら)ちょこちょこ連絡してくるのは、傍から見てると、当たり前だよな~って思います。だって夫だもん。そりゃそうでしょう。まったく無連絡というのは、それはそれで冷たい。

 だけど、なんだかこのドラマを見てると、可南子は結局、波留に対してすごく抵抗感があるように見えてしまって。それだけに、波留のやっていることが空回りに思えて、結局どっちも幸せにはなれないような。

 この状態で。無理やりうまくまとめて、再び二人は幸せに暮らしましたっていうのはあまりにもできすぎかなあと。
 結婚は両性の合意が原則なのに、その合意の部分が大きく揺らいでいる。そこを無視して、同情(波留さん必死だから、可哀想だから復縁するわ)や、世間体(しっくりこないけど夫婦関係は事実だから仕方ないわ)で、なんとなく再び夫婦に戻るのは、なんか違ってるような気がする。

 ぐだぐだと長く書いてきましたが、要するに私には、波留と可南子が、本当に愛し合ってるようにはみえないんです。それに尽きます。

 愛し合ってる二人なら、外部からの障害(恋敵の妨害)があっても盛り上がるしドラマの続きを見ようとも思うのですが、それがそうではないようにみえるから、「じゃあ別れればいいのでは」と単純に思ってしまうのです。

 記憶が戻らないと愛せないというなら、それって本当に愛なのかな、と。疑問に思います。本当に好きな相手なら、真っ白な状態で出会っても、何度でも、何回でも、好きになるような気がしました。

『Ghost Stories』Retold by Rosemary Border 感想

 『Ghost Stories』Retold by Rosemary Borderを読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未読の方はご注意ください。


 これも、本屋さんの洋書コーナーで気に入って買ってきた本。タイトルと装丁に惹かれて。


 中身も大事だけど、やっぱり装丁も大事ですね。この装丁じゃなかったら、買ってなかったと思います。

 雲間に覗く月。不穏な光。灯りのついた屋根裏。古い洋館。

 そしてタイトルは、『Ghost Stories』

 ほぼ一目惚れでした。洋館大好きだ~。ディズニーランドのホーンテッドマンションが好き。今はなき二子玉川のサントリーモルツクラブも好き。蔦が這えば、なおワクワクする。

 中身はと言いますと、複数の作家が書いた短編小説を、簡単な英語で書き直したものになってます。英語学習者向けに、ステージ分けされたシリーズの一冊。これはステージ5となってます。

 確かに、学習者向けに書き直されているだけあって読みやすいのですが、それだけにちょっと味気なさを感じてしまった。整理されてわかりやすくまとまってるんだけど、味がないのです。

 日本語にしろ英語にしろ、文章には人それぞれの癖があって、読んでるとそれが伝わってくるんだけどこの本は。
 いかにも教科書的というか。
 学習用なんだから、目的通りだろうと言えばその通りなんですが。お行儀よすぎて、透明な水みたいで。物足りないと思ってしまいました。

 書き直した方は同じなので、すべて同じテイストで仕上がってます。

 あと、面白かったのは、本編じゃなくて、その後。

 英語学習用の本ということで内容の理解度を確認するためなのか、けっこうな分量のページを割いて、簡単なテストみたいなものが載っているのです。でも、解答がない(^^;

 えぇ~、まさかの解答なし?と思いました。
 一度本編に軽く目を通した後でやってみたところ、けっこう難しくて、やっぱり解答は欲しかったです。穴埋め問題もあるのですが、わからないところが結構ありました。

 それと、その問題編の最後にですね。
 それぞれの短編に出てくる登場人物の、気持ちを想像した文章が6つ載ってまして。
 どの文が、誰を指すのか、またそのときに何が起こってましたか、なんて聞いてるんですけど。

 英語の範疇を超えて、国語の問題になっちゃってるような気がしました。
 懐かしの、現代文、模試、みたいな。

 果たしてこれ書いた著者でさえ、そんなこと思ってんのかな、という。
 誰が何を考えていたのか、明文化されてなかったら、想像するしかないわけで。それに答えなんかあるのかいなっていう。

 消去法で行けば、たしかに答えは書ける、と思う。
 そもそも、本編の数は限定されてるから。その中で一番当てはまるっていうのを考えていけばいいんだもの。

 だけど、ちょっと深読みすると、なにか違うような気がして。
 書かれた問題文は、もちろん一般的なことが書いてあるんだけど。いったんあまのじゃくに考え出すと、本当はあの人そんなふうに思ってたんじゃないかもよ、もしかしたらこうかもよ、なんて反発したくなったり。

 本編には、6つのお話が載っていますが、全体的にあんまり恐くなくて拍子抜けしました。

 特に、『Fullcircle』by John Buchan に関しては、恐いどころかほのぼのしてしまった。誰も不幸になってないし、むしろ、幸せになってるんじゃないかと。
 家が人を変える。あると思いますよ~。
 毎日いる場所だもの、影響を受けないはずないって思う。家には、人の気持ちも宿るんじゃないですかね。

 昔、言われたなあ。
 繰り返すんだそうです。居住者が変わるとき。退去の理由って、たいてい前に住んでた人と同じだとか。

 だから、なるべく幸せになって出てった人の後に住むといいそうです。

 本編の中で、恐さに順番をつけるとしたら、1位は『The Stranger in the Mist』by A.N.L. Munby でした。

 幽霊のおじいちゃんが山をさまよっていて、迷子になった人をみつけては地図を渡すのですが、その地図は古すぎて、その地図通りに行くと、崖下に真っ逆さまというお話。
 主人公はすんでのところで助かりますが、実は以前に、同じような状況で崖から落ちて死んだ人がいて・・・という。

 悪意のなさが逆に、恐ろしかったです。むしろ助けようと思ってるのに、その行為こそが人を死に至らしめるという。
 しかも、永遠に同じこと繰り返すわけですから。誰かとめて~と思っちゃいました。このままほっといたら、同じことが起きてしまう。

 それができるのは、九死に一生を得た主人公しかないわけですが、本人にその気はなさそうです。いいのか? それで。


 Bram Stokerの『The Judge's House』に関しては、6つのお話の中で一番悲惨なラストなんですが、あまり恐いと感じなかったのは理由があって。私がもし主人公だったら、絶対もっと、抵抗してたなあと思うから。やすやすと、幽霊の思い通りになんてさせない。物っ凄い憤慨して、全力で立ち向かってたと思う。

 私、幽霊とかみたことないですが。
 そういうのをあんまり怖いと思わないのは。もし私が逆恨みで幽霊から被害を受けそうになったら怒るし、なんだか勝てそうな気がするっていう根拠のない自信です。

 幽霊より、生身の人間の方が怖いなあ。

 もし対決するなら、生きてる凶悪犯を相手にするよりは、絶対、幽霊の方が勝てそう(^^; まあ、そういう存在がもしあると仮定したら、ですけど。


  

 この本を読んで痛感したのは、文章って味なんだなあと。

 好き嫌いは分かれると思いますが、文章には書き手の気持ちが、にじみでてくるんですよね。そして、こうした学習用に書き直された本のお行儀のよさは、面白くない。

 好きも嫌いもなく、つまらない。退屈に感じてしまう。

 同じストーリーで同じ結末でも、原作で読んだらもう少し違う感想をもったかもしれません。

 もう、この先こうした、学習用に書き直された本を買うことは、ないと思います。それよりは、たとえ難しくても、原作を読んでみたいです。

静まり返った夜の街の夢

 さっき見た夢。

 広い道路を擁する、真夜中のビル街。ビジネス街だから、夜はひっそり静まり返ってなんの物音もしない・・・って、これやっぱり夢だ。
 現実なら、そうはいってもそこそこ灯りはあるし、人気も絶えることないもんね、都会なら。

 なんとなく、東京にいるような気分になってた。

 私が見たその世界では、音がしなかった。そして暗かった。

 すれ違う人がいれば、至近距離まで行ってようやく、気が付く程度。

 場所は・・・ここどこだっけ? 夢の中で頭をひねってたけど、答えはでなかった。初めて見るような、アウェイ感があった。

 それで、私はあせってる。こんな夜間に一人で歩いてちゃ駄目だろと。早く帰らなきゃって思うんだけど、はてさて、帰る場所ってどこよ?

 また考えこむんだけど、わからない。どうしても思い出せない。なにか、この近くのホテルに泊まっていたような気もするし、どこかに部屋を借りて住んでいたような気もするし。

 でも、なんとなく覚えてるのは、それがここから近いってこと。

 おぼろげな記憶をたどり、歩き出すと、1階が店舗になった建物の影に、案外人がいて驚く。

 人といっても、みんな黙りこくって、闇に身をひそめるようにして、縁台みたいなところに寝っ転がってたり。涼をとってるのかな、と思う。寝苦しくて、夜風に当たってるのか。

 そうはいいつつ、無風なんだけど(^^;

 歩けば歩くほど、ときどき、そんなふうに黙りこんだまま寝入っている人たちや、ぼーっと立ちすくむ人影とニアミス。

 そのたびに、ドキっと心臓が跳ね上がる。
 変な人がいるのも恐いけど、「こんな夜中に一人でなにしてんだ」って思われるのも嫌で。

 ああ、帰らなきゃ、早く。
 そして、なんとなく帰り道を思い出したような気がして、地下道にもぐり、再び地上に出ると、歩道の真ん中に建つ小さな建物が目にとまる。
 そうそう、これだった。ここに地図が書いてある。

 古びた扉をあけて中に入ると、誰もいない。蛍光灯は寂しげに、煌々と光を放ってる。

 ここって24時間電気ついてるのかな。誰も来なくても、一晩中ずっとこうなのかな、なんて考える。

 右手に分厚い電話帳が何冊か置いてあって。地図帳のようなものもあって。手にとってめくるんだけど、文字も図も、ぼやけている。いくら目を凝らしても、そこから意味のあるものは読みとれない。
 諦めて、もう一度じっくり考える。
 どこだっけ。どこへ帰ればいいんだっけ。

 不思議なもので、一生懸命考えてるとなんとなく答えめいたものが、頭に浮かぶ。たぶんこの先。遠くないところ。一度また地下にもぐり、また地上に出れば、あとは少し歩くだけでいい。


 建物を出ようとしたとき、電話ボックスに目がとまる。ガラスが割れてるし、かろうじて残った部分も白く曇ってる。いかにも手入れされてないって感じで、古いチラシが貼ってある。でもそのチラシ、不快じゃない。

 レトロで、懐かしい。
 使えるのかな、これ。そう思ったけど、手は出さなかった。

 建物を出ると、正装したおばさま二人に遭遇。今まで出会った人たちとは違い、この人達には生気がある。向こうもこちらを認識したようで、私をじっと見た。この世界で初めて、自分以外の存在に認識されて、緊張する。

 こんな夜中に、あの人たちはどこへ行くんだろう。自分のことはさておき、その人たちの事情が気になる。

 また地下道にもぐる。そして、地上に出る。さーっと、すぐ横に停車した車がある。クラシックカー。内装にはかなり手が加えられているようで、素敵な模様が外からでもはっきりと見える。

 目を奪われていると、再びさきほどのおばさま二人連れが登場。彼女らも、また再会した私に不審の目を向けながら、その車に乗り込んでいく。

 あの人たちの迎えの車かあ。
 ああいう車、他ではあんまり見ないなあ。

 内張り、天井とかが、ウィリアム・モリス調。あの柄を内装に使うと、ごちゃごちゃするんじゃないかと思いきや、ものすごく馴染んでた。ちっとも主張してなくて。

 おばさまの一人は、立派な帽子をかぶっていた。その人は横目で私をじっと見ている。車のドアが閉まるのと同時に、私は走り抜ける。さあ、急がなくちゃ。

 もうすぐそこに、帰る場所があるような気がしていた。そんな夢だった。

2012年5月24日 (木)

『The MAGIC』Rhonda Byrne 著 感想

 『The MAGIC』Rhonda Byrne 著を読みました。以下、感想を書いていますが、ネタばれも含んでおりますのでご注意ください。


 この本を買ったのはまったくの偶然で、たまたま本屋さんの洋書コーナーを物色していたら、なんともシンプルなタイトルに心惹かれまして。

 だって、Magicと言えば、魔法ですから。私は、そういうちょっとオカルトなもの好きなんですよね。夢がある。科学で解明できないような、不思議な世界。

 それで、棚から抜きだしてみたところ、装丁がかなり素敵だったのです。表紙の上部に封蝋があるんですが、これ、印刷じゃなくて三次元加工。少しデコボコした感じが重々しく、ミステリアスな雰囲気を醸し出してます。

 表紙に描かれたのは、光と、古そうな一冊の本を持つ謎の手。その人物の顔と姿は、光に包まれてぼやけています。どんなことが書かれた本なのか期待が高まり、その表紙に惚れて、レジへ直行です。

 それで、読み始めてすぐにわかったんですが、これはロンダ・バーンの最新作でした。まだ日本語訳も出てない状態です。
 ワクワクしながら読み進めました。

 著者は、日本でも話題になった「ザ・シークレット」の人。

 私は「ザ・シークレット」の映画や本を見たことはないんですが、これらの元になった「引き寄せの法則」については、知っています。それらに関連した本も、何冊か読んでます。

 引き寄せの法則は、確かに、納得の法則なんですよ。
 思うことが実現していくっていう。いいとか悪いとか関係なく。とにかく、自分がフォーカスしたものが、実現されていく、というのは、実感として経験があります。

 それを一番感じたエピソード。
 ある一時期。ひとつの台詞が、ぐるぐる頭の中にあって、なかなか離れない時期がありました。

 誰に言われたわけでもないし、これから誰かに言われるわけでもないのに、なぜか、その言葉が頭の中でぐるぐるするんですよね。なにかの拍子に、ふっと、何度もリピートしてしまう。それが、3ヶ月くらいしたときに、ある人からさらっと、その通りの台詞を言われたのです。

 驚愕でした。嘘~~??って思いました。

 ただ、頭の中にあっただけの台詞だったのに、それが現実となって、面と向かって言われたのです。

 ちょっと特殊な言葉だったので、偶然というにはあまりにも、でして。
 どうして思っただけの言葉が、そのまま現実になったのかなあって。だから、引き寄せの法則は、たしかにあるような気がします。


 なにが実現して、なにが実現しないのか。どんな条件が揃えば、現実化するのか。細かいことはあるにしても、原則として、人が考えたことが、そのまま現実になる、というのは、本当にあることじゃないかという気がします。

 それに、引き寄せの法則を信じるなら、なるべくいいことを考えようという気分になりますから。真偽はどうあれ、精神衛生上、とてもいいことだと思うんです。
 いつまでもくよくよ、悲しいことを考えたりするより。
 できるだけ、楽しいこと、ワクワクすることを考えた方が、自分の気持ちも楽になれる。

 『The MAGIC』は、28日間のレッスンで魔法を実現しちゃいましょうっていう自己啓発の本ですが、必ずしも28日間連続、マニュアル通りにやらなくてもいいとのことです。自分に必要な個所だけをとりあげて、3日やり続けたり、などのやり方もOKだとのこと。

 こういう自由があるのは助かります。
 いくらいいなあと思う本でも、すべて、100パーセント実行しようと思うと、息苦しくなってしまうから。

 というわけで、私は1日1ステップ読み進めるのではなく、毎日好きなだけ読み進めて、興味の持てるところだけ実行する、という方法をとりました。


 この本の中で、これは素敵なテクニックだなあと思ったところが2つあります。

 それは、DAY10で語られた、MAGIC DUST EVERYONE。 この、魔法の粉イメージングは、かなり気に入りました。もう、夢が叶うとか抜きにしても、この魔法の粉イメージを心に持つと、気分がいいのです。ビジュアル化が非常にしやすい。

 やってるうちに楽しくなってきて、いろんな人に対してこのイメージングをしました。

 子供のころにやっていた、お絵かきみたいな感じでした。好きな色のクレヨンを使って、好きなだけ好きなものを書く、という。
 楽しいので、とまらなくなります。

 それで、この本の挿絵に影響されたのもあるかもしれませんが、心に想像する魔法の粉の情景が、あんまり綺麗なんで、癒されるのです。自分で想像しといて、自分で癒されるっていうのも変ですが。

 想像の世界で、降り注ぐ金の粉をうっとり、眺めてました。まさに、おとぎ話の世界ですね。


 まあこのへんは、引き寄せ云々関係なく、ただ単に、自分がいい気持ちになりました(^^)


 あと DAY7で語られた、どんな負のシチュエーションの中にも、感謝すべき点は、必ずある、という考え方には、目からうろこが落ちたような気持ちになりました。

 確かにそうなんです。
 無理やりだろうがなんだろうが、感謝すべき点は、必ずあるんですよ。なにより、シチュエーションが負である、それを認識できるということは、その人が正のシチュエーションと、その温かさを知っているということなんですから。
 比較がなければ、認識はないわけで。

 落ちて初めて気付くこと。痛さの中で、日常のありがたさを再確認すること。そういうことって、ありますもん。

 なるほど~。確かにその通りだ~と、夢中になって本を読みすすめました。


 28日間のレッスンを、私はすべてやったわけではありません。自分が興味を持って、「あ、これならやってみたい」と思ったところだけ、実践してみました。その結果は、本を読み終えてすぐに現れました。


 ずっと知りたかった人の消息を、知ることができたのです。
 もう二度と、会うことはないだろうと思っていた人の。このタイミングは、偶然とは思えませんでした。
 ずっと気にはかけていたけれど、行方を知るのには、もうひと押しなにかの要素が必要だったのかなあと思います。私にとっては、この本がそうだった。
 自分の心のあり方について、深く考えさせられる良書です。

 本もそうですが、人との出会いもまた、運命なのだなあと。
 必要なときに、必要な人が現れ、そこから学びとるものがある。

 私はその人の消息がわかるなんて、正直、99パーセントないと思ってました。でも、あっさり願いは叶った。

 タイトル通り、魔法の本だと思いました(^^)

 

 いえ、もしこの本がたとえ本物の魔法の本でなかったとしても、書いてあることは素敵な考え方ばかりです。誰でもすぐに実行できますし、心安らかに人生を暮らすための、アドバイス本でもあります。

 おすすめの本です。洋書(英語)なので万人向けではありませんが、使われている英語はそんなに難しくないので、英語の勉強がてら読んでみるのもいいと思います。


 

2012年5月23日 (水)

幸せの料理 2

 料理には、作った人の心がこめられていると思う。

 以前住んでいた部屋の近くに、小さなパン屋さんがあった。イートインのスペースはなく、売り場も狭い。パンの種類も、いわゆる大手のチェーン店に比べたら、その4分の1。

 よく行く散歩道の途中にあったので、ときどき、買うことがあった。引き戸をあけ、すぐ右手がレジ。いつもはそこに誰もいない。奥の部屋で、パンを作っているから。

 声だけが、客を出迎えてくれる。「いらっしゃいませ~」と。

 パンを選びレジの前に立つと、絶妙のタイミングで白い三角巾のお姉さんが登場。手早く袋詰めにしてくれる。

 

 私はこのパン屋さんで、不思議な体験をしたことがある。
 いや、不思議な体験というには、あまりにもささやかなものかもしれないが。

 ある日。通勤途中にそこのパンを買った。ごく普通のサンドイッチ。

 お昼休み。その日はとくに忙しく、くたくただった。とにかく疲労感がすごくて、食欲もあまりない。

 なかば義務的に、持ってきたサンドイッチを口に運ぶと・・・・。

 ??????

 その瞬間、びっくりした。うまく形容できないのだが、初めての体験。味が美味しい・・というのとはまた別で、なんというか、エネルギーが濁流となって流れこんでくる感じ。
 とにかく、流れこんでくるのだ。何かが。よくわからないけどその何かは、疲れをすべて押し流し、ぼんやりした意識まで、覚醒させた。

 味ではないのだ。
 何か本当に、そのときはエネルギーを感じた。飲みこむと、自分の体がどんどん力を増していくのを感じた。

 ただ、それだけの話なのだが、それはまさに、初めての感覚だった。

 ちなみにその後も、サンドイッチを食べる機会はあったが、あのときのような衝撃を再び体験することはなかった。

 あの日、白い三角巾のお姉さんは、特別に気合いを入れて作ったんだろう、と私は思った。このサンドイッチを食べる人が、元気になるようにと。いつもにはない、なにか特別な思いが、あったのではないかと勝手に想像した。
 そしてたまたま、私はそれを買ったのだ。

 数値にはできないし、目に見えるものではないけれど。人の気持ちというものは、料理にこめられるのだなあと、そう思う。

2012年5月22日 (火)

幸せの料理

 思いがけず、ずっと気にかけていた方の消息を知った。

 もう、はるか遠い昔の話だ。その方は、私が短大時代に、たった10日間だけアルバイトをしたフランス料理のお店にいた方で。

 初めてみたとき、「大っきらいだ。この人のことは絶対好きになれん」と、いきなりものすごい反感を感じたのを覚えている。今思うと、かなり失礼なのだが、当時の私は「二枚目は自分の容姿を鼻にかけて、嫌な奴に違いない」という、妙な固定観念にとらわれていた。

 だから、バイトの面接に出かけたとき。その人が現れて、「面接の方ですね」とにっこり微笑んだ時、私は毛を逆立てて威嚇する猫のように、心中で反感を丸出しにして警戒した。
 いかん、この手の人がまともであるわけはない。用心しなきゃ、と。

 美しい顔立ちに、すらっとしたモデル体型。

 ゴージャス感を売りにした、キラッキラの店内。清潔な白シャツに、黒いロングエプロンだったろうか。全身から、軽く、発光していた。いや、真面目な話(^^;たたずんだその人は、息をのむほど美しかった。

 私は「大嫌いだ~」と心の中で大声で叫びつつ(今思うと、ほんと失礼極まりない)、その人に案内され、オーナーと面接。クリスマスの繁忙時期、10日間だけのバイトはとんとん拍子に決まった。


 そんなわけで、本当に失礼な反感とともに始まった私のバイト生活だったのだが、私の固定観念は、あっさり覆る。10日間は、私には十分すぎる時間だった。

 2つ年上のその人を、もう4日目頃には、尊敬と憧れの目でみつめていたと思う。私も、2つ年をとったら、こんなに素敵な人になれるのかな~と。2歳差とは思えないほど、大人だった。とにかく、新人に対して優しかったし、きちんと目を配ってくれて、困ったときにはこちらが助けを求める前に、すかさずフォロー。

 仕事ぶりも、凄かった。店では、オーナーであるムッシュの元、数名の若き料理人たちが修業を積んでいたけれど、その人は、中でもムッシュが特別、目をかけている一人だった。調理もするし、客が入る時間帯には着替えて、ギャルソンに変身。

 すごいなー、すごいなー。
 もうとにかく、尊敬して感謝していた。どれだけ助けてもらったかわからない。

 特に、裏方でお茶を用意する仕事では、注文がたてこんでくると、どのテーブルに何を用意していいのか、わけがわからなくなってくる。同じ紅茶でも、ストレートティー、ミルクティー、それによって茶葉も違えば、抽出の時間も異なる。加えてエスプレッソも、マシンの操作に慣れず、戸惑う。

 あーどうしよー。もうこんなに注文来ちゃったよ~。

 泣きたい気持ちでお茶を作っていると、彼は現れた。もう、スーパーマンに思えた。その人も、ギャルソンの仕事で大忙し(クリスマスは当然、満席である)なのに、手伝いに来てくれた。

 (まあ、今思うと、自分が運ばなきゃいけないのに、一向に準備されない飲み物にしびれをきらしたんだろうなあ・・・)

 「まだ作ってないのは、これだね。いいよ。僕がやってあげる」

 次の瞬間。ものっすごい高速で、魔法のように注文通りの飲み物が完成していく。手先は超スピードで動いているのに、体は、まるで音楽に合わせ踊っているかのように、楽しげにリズムをとっていた。顔には、余裕の笑みが浮かんでいた。

 まじで? なに? すごすぎる。どんだけ軽くさばいてるんだ、この人。

 私は隣で、馬鹿のようにぽかーんと口をあけて、その人の早業を見ていた。

 その人が教えてくれたのは、人に対する優しさと、笑顔だ。さりげない心配り。連日の長時間勤務(実は私は他の早朝バイトとのかけもちをしていた)でへとへとになった私を、軽い冗談で笑わせる心遣いも嬉しかった。
 まだお客さんの入る前の時間帯。余裕のあるときに、茶目っ気たっぷりの表情で、発泡スチロールの箱を指さす。

 「これ、な~んだ?」
 「え? わかんないです」
 「赤ちゃんが使うのは、おまる。そしてこれは、オマール海老でした~」

 めっちゃ笑顔のイケメン。そして、その端正な唇から紡ぎだされる、なんとも素朴なギャグ。ふたをあけた箱の中では、まだ生きているオマール海老が、もそもそと動いていた。

 この時以来、私はオマール海老には特別な思いを抱くようになった。コース料理で、メインが選べる場合、そこに「オマール海老」の文字を見ると、つい懐かしくて注文してしまう。

 そして、極めつけの瞬間が来る。

 疲労がピークに達していた、クリスマスイブの夜。従業員はみんな、へとへとだった。当然、私も疲れていたが、その人はもっと疲れていたと思う。彼はバイトではなく正社員だったから、労働時間も長い。責任も重い。

 2回転したディナーも終わり、片付けのときだったと思う。その人は私の傍にやってきた。私がよっぽどヘロヘロになっていたのだろう、優しく声をかけてくれた。

 「大丈夫? 疲れてるでしょ。あともう少しだからね」

 極上の笑み。その人は、大笑い、というのではなく。いつも静かに笑う人だった。アルカイックスマイル?

 背の高いその人を、私は見上げる格好になっていた。至近距離に、その人の目があって。私は、その人の白目が、充血しているのを見た。

 その瞬間、悟った。
 ああ、本当はこの人の方が、私の何十倍も疲れているのだと。無理もない。私が出勤するときには、もうこの人は出勤してて。私が帰った後も、この人は残って片づけをしていく。
 バイトと正社員との違いがあるから、正社員の方が大変なのは仕方ないとはいえ、人間の体である。疲れているのは、間違いないのである。

 だけど、この人は、一度だって疲れたなんて弱音は吐かなかった。疲れてる素振りなんて、絶対に見せなかった。私がヘロヘロになっていたら、笑わせて励ましてくれた。
 そして今も。こんなに充血した目で、他人を思いやる気持ちを持った人なんだ。

 体中、雷に打たれたような衝撃を受けた。

 私は間違っていた。綺麗な人だから、どうせチャラチャラした人なんだと、最初から歪んだ目で見ていた。でもこの人は本当に料理が好きで、料理人の道を真摯に邁進していて。仕事を、人を、真正面から見てる人なんだなあって。

 当時の私は若く、「笑う」ということに対して、斜に構えていた。笑ったら負け、的な考えを持っていたのも事実。
 もちろん、全然笑わなかったわけではない。愛想笑いなら、ちゃんとできた。だけど、他人の前で心から笑う、とか。素直に笑う、ということに対して、自分の中では、妙な葛藤みたいなものがあった。

 いろいろあって、すごく悩んで苦しかった時期だったし。もがいていた暗闇の中で、笑うことに対して、ネガティブになっていた。裏返せば恐怖心なんだけど。笑うことが、恐かったのかもしれない。笑ったら損、笑ったら負け、そんな風に思っていた。

 でもその人は。
 苦しい中でも笑っていた。暗闇に射す光、とは、このことだろうか。そのとき、どれだけ私が深い感銘を受けたのか、たぶんその人自身は全く知らなかったと思う。
 ただ、あの時点で私は「笑う」ことに対してポジティブになっていた。もう、笑うことに対して、抵抗は全く、なくなっていた。

 笑顔は力だ。
 あのとき、充血した目で笑ってくれた人。私の疲労感は一瞬にして消えた。その夜、とても寒い夜だったはずなのに、外に出ても全く寒さを感じなかった。感動していたから。
 不思議なくらい、体は温かくて、ふわふわと高揚感があった。

 あんなに綺麗な人が、あんなに惜しまず笑ってくれるのに。
 私はなにを恐れて、笑わないのか。それは、傲慢すぎるだろう、と、自分を諌めた。今日から笑おう。

 そして、その日を境に、私は本当に、笑うようになった。どんな言葉より、その日の体験が、劇的に私を変えたと思う。あの日がなかったら、今の私はいない。


 そして、そんな劇的な体験をしてしまったものだから、私は以後、あまりにも尊敬しすぎて、その人に近付けなくなってしまった。私にとってその人は、神様みたいに神々しく、輝いて見えた。

 バイト終了日。
 一番年上のコックさんが、言ってくれた。
「ディナーは高いけど、ランチなら学生さんでも食べられる値段だし、ぜひ、また食べにおいでよ」
 「はい」と笑顔の私。でも、心の中では叫んでた。来られるはずない。もう、その人に近付くことは、苦痛でしかなかった。あまりにもまぶしくて、顔を見るだけで、胸が痛かった。

 そして、その人から聞いた、最後の言葉。

 「また来年も(クリスマスの繁忙期には)、来る?」

 「来年のことは、まだわかりません」

 またしても、笑顔で答えながら、私は心の中でつぶやいていた。絶対来ない。来れるはずがありません。あなたに会うことが苦しいんです。あなたがいなければ来られます。でもいるなら無理~~。

 そして、バイトが終了した日から、本当に、二度と、私はそのレストランに行くことはありませんでした。

 実際、無理でした。お店の近くの道にさしかかっただけで、心臓がばくばく言い始める。足が前に進まない。だってその店には、その人がいる。考えただけで、胸が張り裂けそうでした。行けるはずない。考えただけで、苦しくなる。

 翌年、またクリスマスの時期には、別のバイトをしていました。その人のことを考えながら。元気にしているだろうか。相変わらず、バリバリ働いているんだろうなあ、と考えながら。


 そうして、月日が流れ、私はあちこちに引越し、そんな中で、なんとなくテレビの特集を見ていると。地方のおいしいレストランを紹介する番組に、なんと、あの店が出ているではありませんか。
 私は画面に釘付けになりました。でも、ムッシュとマダムは出たけど、その人は登場しなかった。お店を辞めたんだと、そのとき直感で思いました。

 それからもずっと気にかけていたけど、ある時友人にこの話をしたら、言われました。

 「いや~、それだけ綺麗な人なら、料理の道というより、水商売に行ってる気がするな~。本人にその気がなくても、誘惑多いでしょ。料理って厳しい世界だというし、ホストとかバーテンとかさー。そっち系に行ってる気がする。それに若い頃いくら綺麗でも、今は案外太ってると思うね。立派に中年太りしてるでしょ。そんなもんだって」

 確かに・・・そんな気もしました。料理人というには、あまりにも綺麗すぎたような。その美貌は、むしろ足を、引っ張ることになるのではないかと。

 ところがつい最近、ふとしたことでその人の消息がわかりました。

 その人はお店を辞めて、外国に修行に行って、それからいくつかの有名店に勤めて。今は、自分のお店を出していたのです。すごいすごい。やっぱり変わってない~。着実に自分の道を歩んでる人だ。尊敬します。

 そして、それを知ったのは、私がちょうど、落ち込んでいるときでした。このタイミングもすごい(^^;

 これはもう、行ってきて爪の垢もらってこい、ということだと思うので、その人のお店に行って、ご飯食べてくることにしました。思いきり落ち込んでいる今だからこそ、きっとエネルギーがもらえると思う。

 もちろんその人は、私のことなんて全く覚えてないでしょう。たかだか10日間、それも1度だけ、バイトに来た人間のことなど。私も、何を言うつもりもありません。その人はきっと厨房にいて、客と顔を合わせることなどないでしょうし。ただ、しっかり、味わってきます。
 料理には、その人の心がつまってると思うから。その人の料理を食べたら、きっと何か、また動く力をもらえるような気がするのです。

 その人のたどってきたであろう、厳しい道のことを思いました。きっと、いろんなことがあったはず。でも、くじけなかった。やっぱり尊敬します。そして、当時教えてくれた笑顔の力に、心から感謝しています。

 本人には一生言えないので、ネット上でつぶやきました~ヽ(´▽`)/

 ありがとうございました。

2012年5月21日 (月)

金環日蝕を眺める

 金環日蝕を見ました。

 二週間前に専用グラスを買って、楽しみに待ってました。最初、空が曇っていて、部屋で待機していたところ、窓の外にさーっと光が射してきたではありませんか。

 それっと部屋を出て、グラス越しに覗いてみると・・・見事に、少し欠け始めた太陽が見られました。太陽が欠ける、月のようになる、なんて、不思議な気分・・・。

 目に悪い、とは知りながら、グラスを外して、一瞬、肉眼で見てしまいました。グラス越しだと、欠けた形だけをくっきりと観察することになるのです。グラスがあると、色や、太陽以外のものは真っ暗で、なにも見えません。
 裸眼で見たらどうなるんだろう、今目の前にはどんな景色が広がってるんだろう。その好奇心に抗えず、見上げた空に映ったものは。

 いつもとまったく変わらない太陽。
 肉眼だと、形の変化なんてわからないんですね。ただただ眩しく。目がチカチカして、すぐに視線を逸らしました。これ、日蝕専用グラスで見なかったら、欠けてることに気付かないレベルかも。

 そのまま、専用グラスで観察を続けます。辺りには特別の音もなく、光の大幅な減少も感じられず。

 でも、グラスを覗きこむと、欠けた割合はだんだんと大きくなり。ついにリングが現れた瞬間・・・・。

 また、ちらりと肉眼で見てしまいました。
 どうしても見たかった~。どんな感じになっているんだろうと。

 一瞬見た太陽は。空の色は、さすがに暗く、普段とは違う光量の減少を感じさせ。
 浮かびあがった光は、私の中のイメージがそうさせるのかなんなのか、青白く見えました。あの、リングの部分が。ぼーっと青白く発光しているように、見えました。

 薄暗い空に輝く、青白いリング。とても、幻想的な光景です。

 すぐに、専用グラスでの観察に戻りました。金環が見られるのはだいたい5分くらいしかなく。その間、ときおり、薄い雲が、微妙に太陽にかかったりするときもあって。
 雲がかかると、グラスにはなにも映らなくなります。真っ暗。

 日蝕が天文現象であると知らなかった昔の人は、大変な恐怖を感じたといいますが。

 真昼間の皆既日蝕ならともかく、今回のような金環日蝕や部分日蝕なら、気付かない人も多かったんじゃないかな~なんて、思っちゃいました。完全に真っ暗になるわけではないから。
 少し欠けたくらいでは、肉眼ではその欠けた部分、わからないです。太陽の光が強すぎて、それを裸眼で見るのは無理だから。あれ、少し暗いなあ、くらいに感じたのではないかと。

 そしてその暗さも、「雲が出てきたのかな」なんて思ったかもしれないですね。

 よく晴れた日に、燦々と太陽の光が降り注いでいたのに、雲が出てさーっと辺りが暗くなる、夏の夕立ちを、思い出しました。

 日本の広範囲で金環日蝕が見られたのは、なんと932年ぶりということで、本当に珍しい現象なのだとわかります。今日パソコンで「きんかんにっしょく」と打ちこんだとき、一発で漢字変換できなかったのにも、納得です。それだけ、稀な現象ということで。

 貴重なものが見られて、幸せな朝でした。

2012年5月20日 (日)

ドラマ『もう一度君に、プロポーズ』第5話 感想

 ドラマ『もう一度君に、プロポーズ』第5話を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれを含んでおりますので、未見の方はご注意ください。





 相変わらず、波留(竹野内豊さん)を拒絶し続ける可南子(和久井映見さん)ですが、一哉(袴田吉彦さん)に対しては心を許してる気がする~(^^;


 一哉もまんざらでもないみたいだし、もう、可南子と一哉が一緒になるラストでいいような気がしてきた今日この頃。


 だって、あれは本当に、可南子は波留のこと、好きじゃないと思うよ、うん。心の深い部分で、拒絶してるもん。壁作っちゃってる。時間がたてば氷解するようなものじゃないと思うね。
 一哉と再会したときにみせた、照れ笑顔。決して、波留にはみせなかった顔だもんなあ。


 要するに、理屈では、「夫である」ということは理解していても、心がついていかない状態なんですよね。心が動かない。じゃあ、どうしようもないじゃん、と思ってしまう私は冷たい人なのかもしれないけど。

 たとえ記憶を失くしても。
 もし真っ白な状態で出会っても、やっぱり好きになると思うよ。その人が好みのタイプだったら。
 そういうの、きっと本質的に、変わらないと思う。

 可南子は、波留のことを「優しくていい人」とは思っても。イコールそれが、恋愛にはつながらないんだろうあな。理屈じゃなくて。もう感覚的なもので。
 このまま、彼が「夫である」ことを盾に、可南子を縛り続けるのはむしろ、罪のような気がしてきた。


 いくら日にちが経っても。波留と一緒にいる可南子は幸せそうにも、リラックスしているようにも見えないし。別居して実家で暮らしていることに、違和感を感じていないみたい。


 そして、驚愕の元彼(一哉)VS現夫(波留)、実家にての鉢合わせ~。見ていてドキドキしちゃいましたが、あれ、普通は元彼の方が遠慮するだろ~と思いました。
 だって、大病して記憶なくして、結婚のことも忘れてしまい苦しんで実家戻ってる女性の家へ、のこのこと行きますかねえ? まあ百歩譲って。弟みたいに思ってる裕樹(山本裕典さん)が強引に誘ったとしても。 
 家に夫が来てたら。遠慮して帰るんじゃないのかなあ、と。

 でも遠慮するどころか、波留にはわからない、昔話で盛り上がっちゃうあたり、一哉は自分の方が、可南子にはふさわしい、と考えているのかもしれませんね。自分の方が、彼女を幸せにできるという自信が、透けて見えたような気がしました。
 あなたが彼女を不幸にするなら、僕が彼女をさらっていきますよ~的な。


 それとですね。そんな一哉を追い返さない可南子も。
 暗黙のうちに、波留に平手打ちをくらわせてると思いました。


 たとえ記憶は戻らなくても。申し訳なく思って当然のシチュエーションではないかと。静養のために戻った実家で、元彼と夫が鉢合わせなんて。
 元彼には、帰ってもらうというのが普通かなあと思うのですが、私の考え方がおかしいのかな。というか、元彼と必要以上に接触をもつ時点で、なんだか波留への裏切りのような気がします。

 一緒にタクシーに乗ったり。忘れ物届けてもらうついでにお茶したり。実家で食事したり。


 そういうの、私が夫だったら許せないと思う。
 思いやりがなさすぎる。ただの同級生っていうならまた別かもしれないけど(それでも、女友達ならともかく男だからなあ・・・)。なにしろ、元彼だもん。そこには気を遣って当たり前だと思うのですが。

 だからこそ、次回予告での「可南子、離婚しよう」という言葉に、納得してしまいました。あーそりゃそうだろうね。ここまできたらもう、それしかないだろうなあ。
 だって、可南子はそれを望んでるだろうから。
 待っていてほしい、なんて思っていないと思う。むしろ、波留との夫婦関係が重荷になってしまっている。


 元彼との失礼な食事会が終わった後。去って行った波留を思い、可南子がみせた涙。あれは、決して、「私、やっぱり波留が好き」という涙ではなかったと思います。
 むしろ、「こんなにひどい失礼な仕打ちを受けてもなお、変わらぬ愛情をくれる優しい人なのに、私はこの人を愛せない。申し訳ない」という涙だったような。


 可南子の気持ち、わからなくもないです。
 いい人だから、優しいから好きっていうのは、違うしなあ。恋愛感情ってもっと不可思議で、説明のつかないものだと思う。
 あんないい人なのに・・・と周りが言ったところで、本人が異性として好きにならなければ、結婚するのは難しいと思う。
 気持ちが動かなければ・・・。心の本質的なところで、わかりあえる相手でなければ、一緒に暮らしたいなんて、思えないでしょう。

 どんなにかっこよくても、優しくても。
 心が動かない相手と、長い時間を一緒に過ごすことはできないです。


 今回、一番眼福だったのは、波留が

>後輩を育てるのも先輩の大事な仕事だよ

 と、クリップボードで桂(倉科カナさん)の頭をコツンと叩くシーンでした。

 あの映像に、ズッキューンと胸を撃ち抜かれました。

 だって、思いっきり手加減してるんだもの。竹野内さん、優しい人なんですねえ。波留だから、というのではなく。いくらドラマとはいえ、年下の女性の頭を、なんのためらいもなくはたける人ではないんだなあというのがわかって、好感度がアップしました。

 あれ、演出ではないと思うのですが。
 あのためらいに、衝撃を受けました。

 もし相手が裕樹だったら、もう少し強い力で小突いてたのかな。
 ふざけてるシーンなので、思いきりよく叩いてもおかしくない場面ではあったのですが。

 力をとっさに抑えた、その瞬間の本能のようなものに、感動しました。

2012年5月17日 (木)

映画『テルマエ・ロマエ』感想

 映画『テルマエ・ロマエ』を見ました。以下、感想を書いていますが、ネタばれしていますので未見の方はご注意ください。





 古代ローマ帝国の浴場設計技師ルシウス(阿部寛さん)が、タイムスリップして日本へやって来る。現代日本でお風呂の技術やアイデアに触れ、それをローマに持ち帰り再現し、大評判になる・・・というお話です。


 もう、この設定聞いただけで面白そう(^^)と思っちゃいます。
 実際、前半部分は笑える場面がたくさんありました。私たちにとっては当たり前だけど、そりゃ古代の人から見たら不思議だろうなあっていうことが、銭湯にはたくさんあって。


 描かれた富士山の絵を、ベスビオ火山と勘違いするところもよかった。出会う日本人の顔を、「平たい顔族」と表現するセンスも凄いです。
 ルシウスは、平たい顔族を、ローマが征服した異民族、奴隷と思っていて、「奴隷のくせになんて進んだ文明をもっているんだ」と、あくまで上から目線なのも笑えます。


 人のよい銭湯の常連らしきおっちゃんたちが、あれこれルシウスの世話をやくのが微笑ましかった。そうですよね~。あれだけ濃い顔の人で、どうやら言葉も通じなくて、銭湯のこともよくわかってなさそうだったら、気になってつい面倒みちゃいますよね。

 フルーツ牛乳に感動するルシウス。

 牛の乳なのに果実の香りがして甘いって・・・。その発想はなかったなあ。うん、でも確かにその通り。

 映画見てたら、フルーツ牛乳飲みたくなりました。お風呂の後に飲むと、美味しいんだよね。コーヒー牛乳もいいし、マミーも好き。


 ヒロイン真実(上戸彩)さんが勤める、浴室のショールームにタイプスリップしてくる場面も最高でした。

 そこで、ジャグジーにも出会っちゃうのね。
 ルシウスの脳内では、ショールームで知る最新機能のほとんどは、その裏で奴隷が大勢働いていることになっていて。そこらへんの、事実とのギャップが面白かった~。
 トイレに入れば音楽が流れるんだけど、ルシウスは当然、隣室で奴隷たちが演奏していると思っていて・・・。そういう勘違いがいちいち、笑えました。

 前半は本当にコミカルなシーンが多かったのですが、その分後半は、少し間延びしてしまったようにも感じました。

 歴史が変わってしまうことに、なぜ真美はそこまで危機感を抱き奔走したのかなあ、とか、そのへんも謎です。真美が古代ローマ史マニアで、あのへんの時代のことをよく知っていて、というなら話はわかるのですが、そうでもなさそうだし。

 後半はもう少し、なんとかならなかったのかなあと思いました。前半のテンポがすごくよかっただけに、残念な感じがしました。


 ルシウスと真実を、変に恋愛モードにさせなかったところは正解だと思います。ちょっとした憧れというか、ほんわかしたムードがとても可愛かった。それくらいでとどめておいたところが、好感持てました。
 だからこそ、真美の体が透き通り、別れが近付いたときの切なさが美しかった。

 満点の星空。揺れる炎。初めての笑顔。

 泣きながら、だけどちゃんと、真美も人生におけるお守りのようなものをしっかりと、ルシウスからもらって、現代に帰って行くんだなあと。だから、安心して見ていられました。

 ルシウスはたくさんのものを、真美やおっちゃんたちから学んだけれど、その逆もしかり。
 真美は、ルシウスの生き方に、大きな感銘を受けたのだと思います。


 見終わってつくづく思ったんですが、この映画、阿部寛さんなくしては成立しなかったな~と。もう、ルシウスが愛しすぎる(^^)


 平たい顔族とのギャップがすごい。そして、筋肉質で美しい体。まるでギリシャの彫刻のようでした。ルシウスの生真面目で、仕事に対しては妥協を許さない生き方。それは、素の阿部寛さんにも通じるものがあるのかなあ~、なんて、考えてしまいました。

 思い返してみますと、阿部さん。映画は『はいからさんが通る』の少尉役でデビューでしたね。あの役は正直、あまり合っていなかったと思いますが(あれは、キャスティングした人に責任があります。ドイツ人とのハーフで、色素の薄い美青年って、その設定からして無理があると思う)、このルシウス役はもう、阿部寛さんがぴったりすぎて、他の人など思いつかない。

 ルシウス役をを阿部さんがやってなかったら、映画のよさは半減してたと思います。

 真実役の上戸さんも可愛かったなあ。普通の格好しただけで、なんでこんなに可愛いんだろうっていう。
 実家の旅館に帰ってくるシーン、いろいろ着こんで大変なことになってるんですが、普通だったらむさくるしい感じになるのに、上戸さんだとオシャレなんだな。

 あと、ケイオニウス役の北村一輝さん。異彩を放ってた。
 女好きの設定なんですが、女性を口説くそばから、殺してそうなオーラが出てるのは何故~(^^;
 恐いんです。狂気のようなものを感じて、ゾクっとしてしまった。青ひげ、みたいな・・・。
 味のある役者さんなのですね。本当に独特で、目立ってたと思います。


 それから個人的にすごく驚いたこと。旅館のおっちゃんたちの一人、館野を演じた竹内力さん・・・いつの間にこんなに貫録がついたんだろうっていう・・・・。

 私の知ってる竹内さんは、アイドル枠だったんです。たしか、セーターの本とかにも載ってたような。例えるなら、野村宏伸さんみたいな感じだったのに、いつのまにこんなにイメージ変わったんだろう。同一人物です、と言われても、にわかには信じられないくらいでした。

 この映画の中で、私が一番綺麗だなあと感動した場面は、ルシウスがアントニヌスに大事な話があると告げる前の、回廊シーンです。

 映像の、光と色の加減がなんとも言えず素晴らしかった~。

 古代の荘厳な建築に射す、夕暮れ、少し手前の光。(あれ、夕暮れだと思うけど、違うかな~)
 柱の表面の凹凸が、絶妙な影を作っていて。

 胸を打つ光景でした。その向こうになにがあるのか、そこは映し出されてなかったけれど。きっとあそこは小高い丘で、あと1時間かそこらで、辺りはもっと赤く、染まり始めるのかなあって。

 正確には、まだ夕焼けって時刻ではなかったのかもしれないですが。ほどなく始まる夕暮れの寂しさを、その色を、想像させる光の色だったんですよね。昼の眩しい、透明な強い光とはまた違っていたような。


 『テルマエ・ロマエ』、見に行って良かったです。

«『THE SNOW GOOSE』PAUL GALLICO 著 感想

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